台風休みの秘密基地
台風の日は、世界が少しだけ「本日は休業いたします」になる日でした。
朝起きると、窓の外では風が全力で木々を揺らしていて、雨は空からというより横から降っていました。テレビのお天気お姉さんは真面目な顔で台風情報を伝えているのに、画面の端っこに映る雲だけが妙に張り切っていて、まるで巨大な綿あめが日本列島へ遠足に来ているみたいでした。
学校は休み。
会社も休み。
習い事も休み。
世界中の予定表に、大きな赤い丸で「今日は無理しなくていいです」と書かれているような朝でした。
私は少しだけ浮き足立ちながら、雨戸を閉めました。
ガラガラガラ。
あの音が好きでした。
雨戸を閉めると、家は急に秘密基地になります。
外では嵐が暴れているのに、中は妙に落ち着いていて、「ここから先は会員制です」みたいな空気になります。
どうやら今日の家は、「避難所」と「冒険基地」の中間らしいです。
リビングでは母が非常食ではないお菓子を非常食みたいな顔で並べていました。
ポテトチップス。
チョコレート。
せんべい。
普段ならただのおやつなのに、台風の日に並ぶと急に特別になります。
たぶん人間は、「備え」という言葉に少し弱い生き物です。
私は窓の隙間から外をのぞきました。
木が揺れていました。
電線も揺れていました。
遠くの信号機まで揺れている気がしました。
世界全体が大きな洗濯機に入れられているみたいでした。
でも不思議と怖くありませんでした。
なぜなら私は家の中にいて、毛布があって、お菓子があって、テレビがあったからです。
安全な場所から見る嵐には、少しだけ物語の匂いがあります。
昼になると、雨音はさらに大きくなりました。
ザーッ。
ゴォォォ。
ドン。
時々どこかで何かが転がる音がして、そのたびに家が小さく身構えます。
でも、家も案外頼もしいもので、
「大丈夫ですよ」
と言いながら壁を鳴らしているようでした。
古い家は特にそうです。
少し軋みながら頑張るので、なんだか応援したくなります。
私はソファに寝転がって本を読みました。
途中で飽きて漫画を読みました。
途中でまた飽きてテレビを見ました。
途中で眠くなって昼寝をしました。
そして目が覚めると、まだ台風でした。
あの日だけは、時間まで休校になっていた気がします。
時計の針も、
「今日はそんなに急がなくていいでしょう」
と言いながら歩いていました。
夕方になる頃には、家の中が少し暗くなりました。
雨戸の向こうは昼なのか夕方なのか分からなくて、世界が大きな毛布をかぶっているみたいでした。
その暗さが妙に好きでした。
停電になるかもしれない。
でもならないかもしれない。
何か起きそうで、たぶん何も起きない。
そんな曖昧な予感が家の中にふわふわ浮かんでいました。
期待と不安のあいだにある、子供だけが見つけられる秘密の感情です。
夜になると、風は少しずつ静かになりました。
雨も遠慮がちになりました。
テレビの台風情報も落ち着いてきて、どうやら冒険の終盤らしいことが分かりました。
私は雨戸を少しだけ開けてみました。
外は濡れていて、葉っぱだらけで、空気が洗いたてみたいでした。
昼間あれだけ騒がしかった世界が、何事もなかった顔をしています。
でも私は知っています。
今日一日だけ、世界はちゃんと特別でした。
みんなが少しだけ休んで、
少しだけ閉じこもって、
少しだけワクワクしていた日です。
台風そのものが好きだったわけではありません。
たぶん好きだったのは、
「何もしなくていい理由」が空からやって来ることだったのだと思います。
頑張るのも、急ぐのも、お休みです。
宿題も、予定も、心配も、とりあえず雨戸の向こう側に置いておきましょう。
今日は嵐が代わりに騒いでくれています。
さて、ポテトチップスはまだ半分残っています。
どうやら台風は去りましたが、秘密基地の営業時間はもう少し続くみたいです。
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